shimojiblog

しもぶろ日記です

はてなブログProから無料ブログへ


はてなブログProの更新時期になり、レンタルサーバーの更新も迫ってきた。
サーバー会社から、何度か更新の案内が届いた。
その度にどうしようかと悩んだ。


はてなブログProはブログ内に広告が入らない、そこがいい。
Proでこのまま続けるか。
お金のかからない無料ブログに移るか。
しばらく悩んだ。


1ヶ月ほど悩んで無料ブログに移ることにした。
節約優先にする。


解約の手続きのために、サーバーにログインした。
解約!
と思い、解約を押そうとしたが、、、


待て待て、まだ期限まで猶予はある。
今日解約しなくても。
現状は変わるかもしれない。
宝くじが当たるかもしれないじゃないか。
そうしたら、このままProに残れる。


思い直して一時保留。


また悶々と悩む日々が始まった。



以前ほど、ブログを書かなくなった。
このままProに残るのはもったいない感じがする。
たまに日記を書くようなものだから、やっぱり無料でいいかな。


しょうもなく悩むのが、私の思考の癖だ。


そうこうしているうちに、いよいよ期限が迫ってきた。
宝くじは200円が2回当たった、ラッキー。


じゃない、じゃない。
当たるのは嬉しいけれど、200円が2回では何ともならない。
あと丸が3つ欲しい。
欲を言えば、もっと。



更に期限が迫った。


お金は何とかなると思ったけれど、、、


とうとう解約をした。
やっぱり節約を優先しようと結論を出した。


はてなブログPro最後のブログになった。


今日は図書館で書いている。
図書館で書くのは初めてだ。
新鮮でいいなあ。


図書館は久しぶりだ。
嬉しい。
ある程度書いたら、読書をしよう。


開放的な大きな窓から、街が見える。
向こうに山も見える。
真っ青な空には、ちょっと及ばない、くすみのある青い空、これも良し。
今日は暖かい。


あれは飛行機かな?


月が白くぼんやりとみかんの形をしている。
夜になったら赤々と照らしておくれ。


土曜日だから、学生で満席かなと思っていたら空いていた。
窓側に座れた。


ラッキー



イギリスに住んでいた娘が帰国して、同居している。
また娘と暮らせるとは予想していなかった。
1年程日本に居るらしい。
お金を貯めて、次はオーストラリアに行くんだと。


娘との同居は生活費が増えて大変なこともある。
日常もちょっと忙しくなった。
洗濯やご飯作り、なーんもせん。


生活費も忙しさも増えたけれど、娘との生活は楽しい。
またいずれ一人だけれど、今を楽しんで暮らす。
一人になったら、また一人を楽しんで暮らす。


その娘が朝早くからバイトに出かけた。
駅まで送った。


簡単お弁当作りをした。
鰹節と醤油で味を付けたおにぎりを、ごま油で焼いて焼きおにぎりにした。
こんがり焼いた厚揚げは、焼き肉のたれで味付けをした。
卵焼きは甘めにした。
アルミホイルに包んで、お弁当に持たせた。


ホイル弁当だ!


私は休日なので、ササッと家事を済ませて図書館へ。
久々に午前中からのんびりと図書館で過ごす。


お腹が空くまで過ごそう。
お腹が空いたら、自宅に戻って食事にする。
インスタントラーメンとご飯かな?


休日の定番中の定番。



1年間のはてなブログPro。
最初の頃は、いろんな機能を使いこなしたいと考えていた。
レイアウトを工夫して、目を引くブログにしたい。
目次を付けたり、コンテンツなるものを作ったり。
新しい取り組みをしたい。


書くだけのブログは卒業しよう。


そんなことを考えてネットで検索をしたり、他の方のブログを見たり。
プチ勉強をした。
けれど、、、何も出来なかった。
描いていたようにはできなかった。


出来ない事の諦めも早かった。
できない自分を慰めるように、出来なくても良い理由を見つけた。


素晴らしい構成や素晴らしいレイアウトのブログを書きたいわけではない。


書きたいから書くのだ。
自分と向き合うために書くのだ。


これが私の書く原点だ!


とか理由づけたりして。


1年を迎えた。


有料ブログから無料ブログへ移るだけだけれど、節目って感慨深い。
何となく過ぎる1年より、期限付きの1年は、はっきりした1年を感じる。


いろんな機能を使いこなせず、ふつーうのブログで過ぎた1年だけれど、


はてなブログPro、楽しい1年だった。


ゆっくり書く、数日かけて書く。
今日投稿したいと焦らずに、じっくりと書く習慣が付いた。。
読み返して何度も修正をした。
文字数を意識した。


投稿をためらうような情けない内容も書いた。


できたことも出来なかったことも、全てが楽しく有意義な1年だった。


またブログのお引越し。
動くことで何かがある。
書くことで、何かがある。


時折の投稿も、続けていけたらと思う。


いつか、旅に出た時、旅ブログを書けたらいいなと思う。


軽くて小さなノートパソコンをバックパックに入れて東南アジアの旅をするのだ。


幸せな道を歩く幸せな旅へ!



英語というもの


英会話習得のために、英語のYouTubeを見始めて4か月が経過した。


投げ出すことなく、細々と続けている。


始めの頃はいろんな方のYouTubeを見ていたが、今は一人の方のYouTubeに絞っている。
最近は、10日間ほど放置していた。


勉強の積み重ねって難しい………


これではダメだと思って、次の休日は午前中からYouTubeを見て勉強をした。
途中途中に休憩を入れながら、その日は午後も頑張った。
午前と午後だけではなく、夜も頑張った。
YouTubeを見て、文字に起こして、シャドーイングをして、これを繰り返した。


一日頑張ったその日の夜、YouTubeを見ていると、あることに気がついた。




これは、


ただの言語だ




当たり前だけど、当たり前のことに気がついた。


それまで、『英語』は遥かに遠い遠い彼方の、宇宙にある存在だった。
果てしなく遠い存在。
それはもう、言語ではなく、『英語』という巨大な
英語というものを、そのように捉えていた。



だから、


心のどこかで英会話習得など無理だと思っていた。
話せるようになど、無理でしょ、と思っていた。



海外の一人旅に備えて英会話を習得したい、その想いで勉強しながらも、
英語を話せるようになりたいと、想いながらも、


信じていなかったのだ


話せるようになるわけがない


決めつけていた



だけど、その夜、英語のYouTubeを見ていて、


ああ、これは言葉だ、ただの言語だ!


と気がついた



遥か遠くの果てしなく遠い存在の巨大な 塊 。
崩せるわけがないと思っていた 塊 。



『英語』というものが


その時、


地球に降りてきた



そうだ、そうだよ


外国人が普通の会話をしているだけだ。
外国人だって、同じ人間なんだよ。
宇宙人ではないんだよ。


散歩に行こう、とか
喫茶店に入る?とか
晴れたね、など


普通に会話をしているだけなんだ。



だとしたら、


英語が話せるようになるのは可能なんじゃあ



うわっ


図々しくもそんなふうに考えた。


難しさに変わりはないけれど、英語に対する気持ちのハードルが下がった瞬間だった。



怠けながらも続けてきたから、この気持ちに至った、のかな?
勉強する前よりも少しは英語に近づけたから、そう思えたのかな?


続けるって大事だね


よく言う



英語の習得は長期戦で毎日の積み重ねが大事だと思う。


毎日頑張ろう


改めて決意した



聞き取れたり話せるようになりたい。
海外の旅をした時、自分の口で話がしたい。


空港やタクシーやバス、電車、ホテルや食事、買い物、それら全てを自分でできるようにしたい。


インド
インドネシア
カンボジア
シンガポール
スリランカ
タイ


少しの着替えをリュックに詰めて、東南アジアの国々を歩きたい。


東南アジアの国々を巡りたい。



今は毎日YouTubeを見るようにしている。
眠くても、とにかく1回は見る。
シャドーイングをする気力がない時も、とりあえず1回は見る。


見るだけで意味があるのかな?と考えた時もあるけど、それはいいとした。
英語を好きになりたい。


好きだから毎日見る。


その気持ちで取り組むのだ。


千里の道も一歩より、頑張!



今年最後のブログは

のりで巻いた塩おにぎりが食べたくて、スーパーでのりを見ていた。


ズラッと並んだのり、高い。
600円するのもある。
のりも高くなった。


安いのもあるけど、色つやがやや劣る。
黒々と照りがあると美味しそうに見える。


我慢・我慢。
枚数とお値段でちょうど良いのを決めよう。
のりが並んだ陳列棚を上から下、下から上へと何度も見る。


店員さんがせかせかとやってきて、近くの商品をバタバタと並べ直した。
動作が慌ただしくてうるさい。


じっくりのりを選びたいのに、気が散るじゃないか。


忙しいから仕方がないのだろうけど、声を掛けたくないタイプの店員さん。
優雅にやってとは言わないけど、騒がしい音を立てて作業をされるのは嫌。


こういう店員さんには商品の場所を聞くのも躊躇するなあ。
そっけなく対応されそう。


なのに、何故か、その日は声をかけた。
のりの高さに動揺した?



のりも高くなりましたね~


(何を言ってんだ)



忙しく動かしていた手を止めて、店員さんがパッとこちらを見た。
次の瞬間、すばやく側に来た。


一瞬、怒られるかと思った


ら、、、



ほんとですよね、ほんと高いですよね~



へっ?



うちの子、のりが大好きなんですけど、1枚は食べさせられないですよ~
少しずつちぎってあげてます、今日はこれだけね、と言って



ハッ?


さっきまでバタバタと仕事をしていた方が、私のつぶやきに応えてくれた。
楽しいエピソードも添えて、共感してくれた。


おそらく30代の小さいお子さんがいらっしゃる方だ。


のりの話から物価高騰の話しに花が咲いて、2人で井戸端会議に熱中。
話をしながらものりを選ぶ、店員さんも選ぶのを加勢してくれる。



これは8枚でこの値段ですね
こちらは10枚ですね


などなど



ようやく丁度良いのが見つかった。


購入するのりが決まった。
のりの購入に何分かかるの?


店員さんにお礼を伝えると



いえ、高くて本当にすみません、ありがとうございます



近寄りたくないタイプだと思っていたら、驚くほど気さくで優しかった。
慌ただしい音を出しながら作業をする人が必ずしも、感じ悪い人、ではなかった。
見た目やしぐさの印象で、先入観を抱いてしまう、悪い癖だ。


単に音を出す人なんだ。


玉手箱を開けたら、ご褒美が出てきたような気分だった。



若い頃とは違い、人との関わりが狭まってきた。
若い頃は飲み会とか、習い事とか、友人との遊びとか、いろいろ。
子育て中は、学校関係やお母さまたちとの関わり。


今はまったくない

気楽で生きやすい


それでも、職場の人達や日常で関わる人達の存在があって、やっぱり人と関わって生きている。
深い関りや密さはないけれど、丁度の感じで成り立っている。


狭い社会の中で、些細な出来事に出会って喜んでいる。
貴重な出来事というほどではないけれど、嬉しい出来事だ。
気にも留めなかったことに、有難さを感じたりするのだ。



このブログが今年最後のブログ。


泣き言も多かった。
どうしようもない時もあった。
少しづつ少しづつ、立ち直って積み重ねて今がある。



来年は辰年、年女だ!



人生は旅だ


書くことにエネルギーを注いでいた頃、書くことは成長・変化への願望であり、期待だった。
書くことで、自分と向き合い、自己実現を高めていける。
その想いで、必死になって書いていた。
その行動は、確実に効果を表して、書くことで多くの経験と知恵を授かった。


知恵という表現は、大袈裟かな?
言葉の意味としては、頭の良さや判断力らしい。
私にはそんな能力はないなあ。


まあまあさておいて、書くことで、確かに変わった。


そもそもの書くきっかけとなったのは、フィリピンの一人旅だった。
フィリピンの一人旅から、人生が変わっていったのだ。


あの時、空港に向かうバスの中で「お母さん、行ってきなよ、大丈夫だよ」。
娘のその言葉を聞いた時、心臓が破裂しそうになった。
バクバクドキドキと波打って、どうしようどうしよう、頭の中がグルグルした。


数時間後には娘と2人で飛行機に乗る、まさにそのタイミングで。
娘が自分のパスポートが切れていることに気がついたのだ。


漫画のような出来事。


そう、人生は漫画のようだ。
おかしくて楽しい、愉快な漫画のようだ。
涙や悲しみもあるけれど、ユーモアで溢れている。


今になると、自分の物語をスクリーンを通して見ているような感覚さえする。
自分の物語なのにドタバタ劇に笑ってしまう。


私は、スイッチを押したのだ。


ジェットコースターの作動スイッチを自ら押したのだ。



ワーーギャーー
上っていく、上っていく、怖いー
今度は一気に下り、ギャー


上りや下りや、げげっ回転、急に止まって急に発進、はたまた後ろへ下がる、下がる
うそでしょーー


止めてーー落ちるーー


ジェットコースターから落ちないようにしがみついたけど、


あれーーー落ちるーーー



みっともなく手足をばたつかせながら落下。


運よく芝生にふわりと落ちて、無事だった。
ケガは無し、自分の身一つあるだけ。


無事幸い、あたりを見回すと、草原だった。
誰もいない。
見渡す限り、延々と草原。


ありゃーーー


ここはどこ?
違う世界に来ちゃったの?


立ち上がる気力も歩く気力もなく、茫然と座っていた。
しばらくジッと座っていたけれど、暇なので目を閉じてみた。
座ったまま目を閉じた。



これ、すなわち、瞑想。



書くことに、重い重しをのせていた頃、書くことは喜びでもあり苦痛でもあった。
読み手を意識して固くなっていた。


今はそれがない。


書くことに期待も願望も抱いてはいない。
書きたくなった時に書きたいことを書く。
それだけだ。


もっと言うと、やりたいことがハッキリと定まってくると、書く必要もなくなるようだ。
やりたいことに時間を費やしたいからだ。



分かりやすく説明をしたい。


100%のうち、自分は10%だった。
努力をして、100%の自分になった。
100%の自分になると、100%になるための努力は必要としなくなる。


100%は完全という意味合いではない。
そのままの自分を本当に心から認めた、ということだ。



だから、書くという行為を通して、成長や変化を求めなくても良くなった。
という心境に至った、とでも言ってみる。


今は、楽な気持ちで書いている。
面倒な時は書かない。
書く気持ちが沸いてきた時、書き出す。


テーマも決めず、ブラブラっと書き綴って、一人悦に入っている。


自由でのんき、気ままだ。


さっきのような、わけのわからないファンタジーの話も、一人で笑っている。
そんな空想が楽しくてしょうがないのだ。
実体験を交えた空想ではある。


瞑想も登場させた。


朝の20分の瞑想は、言葉で表現できないけれど、なんだか良い感じだ。
あくびをしながらの時もあるし、まだまだ雑念ばかりだけれど。



草原で一人瞑想をしている自分を想像してみて。


目を閉じて、光を感じて風を感じて、幸福感に包まれているのか。


それとも孤独を感じて悲しく辛いのか。


どんな姿を頭に浮かべるのか。
そのイメージから自分の状態は知れると思う。



人生は旅だ


何度もブログに書いている。


何度でも書く。


人生は旅だ



私は大海原にいる。
小さなボートに乗って、オールを動かしている。
太陽は暑く、帽子を被っていない私の頭に、容赦なく光を注ぐ。
水面はキラキラと輝いて、まるで群星のようだ。
波の音と、鳥の鳴き声、聞こえるのは自然の音。


一人で優雅に漕いでいる。


見渡す限りの大海原。
陸はどこなのか分からない。


構わない


表情は明るい。
口元はにんまりして笑っている。
これから何があるのか、何も起こらないのか、まったく分からない。



構わない



人生は旅だ!




推しの話から


Bars & Melody(バーズアンドメロディー)という、イギリスの2人組の音楽グループがいる。


グループを知るきっかけとなったのは、ある人のブログに
『アメリカズ・ゴット・タレント』のYouTubeが貼ってあったから。
見てみたら面白かった。


『アメリカズ・ゴット・タレント』
(英: America's Got Talent、略してAGT)
米NBCネットワークで放送されている公開オーディションのリアリティ番組
(ウイキペディアより)


この番組にちょっとハマった


番組を見ているうちに、あの2人組の最初のオーディションに出会った。
随分前のオーディションだったと思うけど。


実体験を元に作ったいじめの歌詞に、泣けた


陰ながら、日本の片隅で声援を送る


と言いながらも、音楽系のYouTubeはそもそも無縁。
その後は熱心に見ることはなく、それで終わっていた。


だけど、最近、何の気なしにあの2人組を見て、大きくなった姿に驚いた。
月日が経ったことに、勝手に感動した。


Bars & MelodyのYouTubeを好んで見るようになった。
元々YouTubeは大好きだからね。
見だすと時間が経ちすぎる。


ダメだダメだ、これで終わりと思いながら、もう1本もう1本と、、、やめろーー


、、、、、



気が付くと


見る頻度が増えてきて


アレッと気づいた時は



いつの間にか推していた



うーーん、いつだか「推しの王子様」なんていうドラマがあったもんだから、
いい気になって「推し」なんていう言葉を使っているが、書いてて少し恥ずかしい。


いや、だいぶ恥ずかしい


いい歳こいて「推し」はないだろう。
いいじゃないか、歳なんか関係あるものか。
心の葛藤をうっちゃって、書いたもん勝ちだ、なんてほざいてみる。


というわけで、YouTubeを開くと、まずはバーメロを見ることが増えた。
調子乗ってるなー
バーメロだなどと、たいがいにしろ!


ところが、こうもあのグループを見ることに時間を費やすと、英語の勉強も読書もままならない。
これはいかん、と思いながら、なにぶんにも「推し」なので、簡単には引き下がれない。


心の葛藤は膨れ上がる



そんな中、、、いきなり毛布の話になる。


2年程前から、毛布のフチがピロピロとほどけていた。
ピロピロしたフチが足に絡まって、寝ている間気持ちが悪いのだが、面倒なので放っておいた。


それをとうとう、縫うことにした。
長さにしてどれくらいだったろう。


けっこうある


頑張ろう


糸を通した針を手に持ち、いざ、という時、気が付いた。


そうだ、あのグループを見ながら縫おう


そうすれば、あのグループのYouTubeを見るために時間を費やすことの罪悪感がない。


一石二鳥


針を持つ手も小躍りする


YouTubeをセット、見ながら、チクチクチクチク。
この2人は、本当に仲がいいなあ。
そこが最大の魅力なんだよね。
見ていて、本当に微笑ましい。


ほどけていたのはけっこう長かったので、けっこう長く見れた。


正味2時間ほど


クタクタになった


一つの事しかできん


YouTubeを見ながらの針仕事は、掃除機を持ちながらご飯を食べるようなものだ。


例えがよく分からん


とにかく、YouTubeを見ながらの針仕事を終えて、思わぬ副産物を得た。


満足したのだ


なんだ、私の「推し」ってやつも、大した根性がない。
YouTubeを2時間見ただけで満足するなんて、とうていライブなど行けそうもない。
行けばきっと、疲労で倒れて病院だ。
点滴のお世話になるだろう。


心の中の応援うちわを、そっと置いた。
心の中の応援ハッピを、そっと脱いだ。


何て言いながら、その後もたまに見ているが、以前ほどではなくなった。
なので、思いっきり、英語の勉強にも読書にも打ち込める。


昼寝している場合じゃない。


起きろ


起きて英語学習をしろ
来年はタイに行くのが目標だ。
そうだ、来年はタイに行きたいのだ。


起きろ


起きて夏目漱石を読め
吾輩は猫である、144ページ目だ、残りを読むのだ。


起きろ


起きて貯金も頑張れ


いや、なんのこっちゃやで


つまり、こうなのだ


推しだの、英語だの、読書だの、楽しいのだ。

後半の人生も、これでなかなか面白いのだ。

そりゃ、たまには孤独を感じたりもするし、そりゃ、いろいろあるけどさ。

長らく生きていれば、対処法を心得てくるというものだ。


山あり谷ありを歩んできて、良くもなし悪くもなし、

まあまあだね、このあいまいな緩さがいいんだな。



本との出会い


雑誌「 AERA」と「PRESIDENT」から影響を受けて、最近読書をするようになった。
佐藤愛子さんや向田邦子さんを読み終えて、文学作品にも挑戦したくなった。
夏目漱石集を借りてみた。
「吾輩は猫である」から始まって「坊ちゃん」「三四郎」「それから」「こころ」「道草」と続いている。


2段組に文章が連なっていて大量の小さい文字。
明治時代に書かれた作品、難しいであろうこの本を読めるかどうか不安この上ない。


恐る恐る読み始めた。



 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪どうあくな種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕つかまえて煮にて食うという話である。
(ネットより抜粋)



にわか読書人間、文学作品の重厚さに触れたくて挑戦してみた。
見たこともない漢字や、理解しながら読み進める難しさを感じながら。


けれど、それが意外にも読めている。
面白いのだ。


まるでその場が見えるようだ。


玄関の扉は、カラカラと音がするのだろうか?
座敷の障子を開けると縁側、その先には小さな庭がある。
竹で編んだ竹垣の側には植木がある。
台所はテーブルと椅子なのだろうか、あるいは昭和レトロな丸ちゃぶ台?
大きな茶箪笥の中は、所狭しと食器が重なっている。
釜炊きのご飯で、流しはタイル張り?


勝手に想像力が働いて、楽しくて先が気になってくる。
長いけどなんとか頑張って読めそう、手ごたえを感じた。


ところが、72ページ迄読み進めたところで、
頼んでいた本が届いたので取りに来てください、と図書館から連絡を受けた。


あれま、そんなに借りても読み切れない
頼んだのが早かった。
でも、連絡を受けたので取りに行こう。
延長という手もあるし、軽く考えて図書館に向かった。


すると、館員さん、
他の図書館から借り入れたので、延長はできませんし、期限を必ず守ってください
と話された。


私はその時、夏目漱石集の分厚い本を手に抱えていた。
届いた本を借りたら、そのまま図書館で夏目漱石集を読んで過ごす予定だった。


館員さんは、それを見て
優先順位はこちらから、そちらは延長できますから大丈夫ですよ。


仕方がない。
「吾輩は猫である」続きはお預けだ。


アドバイスに従って、届いた本を読むことにした。


ページ数は321ページ。
これもけっこうあるなあ。
20日間で読まなければならない。


長い本を読んだのは、ハリーポッターくらい。
次の日仕事だというのに、1巻目は夜中の3時ころまで読んだ記憶がある。
面白くて、途中で止めるなんてできなかった。


でもそのシリーズも、読んだのは2巻目まで。
あとは映画を観て、それで満足した。


そんな訳で、長い本は馴染みがない。
いや、待って待って、あるぞ、あるぞ、他にも長いの読んだことあるぞ。


こらこら、横道にそれなさんな。
そんなことはいいの。


はいよ



雑誌「 PRESIDENT」に紹介されていた本。
興味が沸いたので、近くの図書館に問い合わせをした。
あいにくそちらにはなかったが、他所の図書館に問い合わせてくれた。
それが届いた。



本は、これだ↓




私は今まで、そんなことを知らなかった。
いや、もしかして知っていたかもしれないし、教わったかもしれない。
ただ、耳に入らなかっただけかもしれない。


でも、確かに今まで知らなかった。


本の内容はあたりまえと言えば、もっともあたりまえのことなのに。
それに気が付きもせず、むしろ真逆の考えを持っていた。


今までどれだけ挫折を繰り返したのだろう。
何度も同じことを繰り返しているような思いもある。


だけど、振り返ると、その時の決定は、その時起こったことは、自分にとっては大切なことだと肯定をしてきた。
それがどんなダメージだったとしても。



スティーブ・ジョブスは、スタンフォード大学の卒業式のスピーチで、


将来をあらかじめ見据えて点と点をつなげることは出来ない
できるのは、後からつなげることだけだ


と、点と点をつなげる話をしている。


点と点がつながることは、全ての人に起こっている。
それに気づくか気づかないかの違いはあるが、点と点はつながっているのだ。


多くの経験を経て、この本に出合って、点と点のつながりを強く感じた。
この本との出会いとスティーブ・ジョブスのメッセージが私の中でつながった。



少し前は、読書をする気持ちにならなかった。
いろんなことに目移りをして落ち着かずバラバラだった。


こうして読書ができるくらい心の余裕ができたことは嬉しい。
お金の余裕はないけれど、心の余裕に満たされている。


まだ返却まで時間がある。
もう一度読んでみよう。


誰も教えないことを本から教わる。


読み終えたら、次はいよいよ「吾輩は猫である」の続きへと向かう。



英会話とYouTube


英会話の勉強のために、スティーブ・ジョブスさんのスピーチを聞いているけれど、これが毎日ではない
15分という長いスピーチ、仕事が終わった夜に、とても聞く気になれない


なるべく休日には図書館でイヤホンを耳に聞くようにしているが、毎回の休日に図書館に行けるとも限らない
それでも頑張ろうという気持ちがあるので、数時間でも図書館に行き、聞くようにしている


この間は、2時間聞いた
何度も聞かなきゃと考えていたから、聞くことに専念できたことは満足だった
この調子、と思うと同時に、グッタリした


ところが、帰宅して気が付いたのだが、ワンフレーズも覚えていないのだ
2時間費やして気が付いた


聞くだけではダメなようだ

ガーーン


このことに気付けたので無駄な時間ではなかったと無理やり思う


それではと思い、ここ最近から取り組んでいるのは声出し読み
読めない単語をカタカナ読みにして、毎日声に出して読んでいる
仕事が終わった夜などは読んでいる途中で眠気が襲ってくるが、最低でも1回は根性でやり抜く


休日は何度も読み上げる、、のが目標
あくまでも目標
いまのところ、2回がせいぜい


最初の頃は、読み終えるのに1時間かかった
ほんと、それこそグッタリだった
それが最近は25分になった
スラスラと読めるようになれば、さらに時間は短縮されるかもしれない


頑張っ



ある日、YouTubeを開くと


英語のスピーチが聞き取れる!
(和訳と英語字幕付き)
女優セレーナゴメスの6分半の感動スピーチ


というのが目に入った


こりゃあいいぞ、と思ってYouTubeを見た


和訳と英語字幕が付いているので、内容は把握できるけれど、和訳と英語字幕を同時に見るので忙しい
通常の6分半のスピーチの後に、遅いスピードのスピーチが流れるので、スピーチを2回見ることになる
合わせて16分のYouTubeだった
スティーブ・ジョブスさんのと、そう変わらない時間
全て見終わると、それなりの長さになるけれど、なんとなく気楽さがある


確かに遅いスピードは、よほどゆっくり流れるので、ほんの少しだけ聞き取れる
普通の速度と早い速度を聞くのもいいのかも
スピーチの中の分からない単語を調べた
聞き取れるようになろうと、このYouTubeを見たりした


ところが、、あれもこれもは無理だと、やっぱり気がついた
どちらも中途半端でどちらも身につきそうもない
なので今は、スティーブ・ジョブスさんのスピーチの声出し読み一本にしている


余力があって、気分転換がしたい時に、他のYouTubeを見る


この勉強法で何とかなるか分からない
お金をかけずに英会話をマスターしたいので、YouTube頼みで頑張るしかない


いつかまた、一人で海外に行くのだ
その時こそ、ぺらペラペラーのペーラペラとなっていたい
いやいや、せめて、たどたどしくも会話が成立したら、それでもOK!


いやいやいや、やっぱり、ペラペラーがいいなあ


ファイト!