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しもぶろ日記です

人生は旅だ


書くことにエネルギーを注いでいた頃、書くことは成長・変化への願望であり、期待だった。
書くことで、自分と向き合い、自己実現を高めていける。
その想いで、必死になって書いていた。
その行動は、確実に効果を表して、書くことで多くの経験と知恵を授かった。


知恵という表現は、大袈裟かな?
言葉の意味としては、頭の良さや判断力らしい。
私にはそんな能力はないなあ。


まあまあさておいて、書くことで、確かに変わった。


そもそもの書くきっかけとなったのは、フィリピンの一人旅だった。
フィリピンの一人旅から、人生が変わっていったのだ。


あの時、空港に向かうバスの中で「お母さん、行ってきなよ、大丈夫だよ」。
娘のその言葉を聞いた時、心臓が破裂しそうになった。
バクバクドキドキと波打って、どうしようどうしよう、頭の中がグルグルした。


数時間後には娘と2人で飛行機に乗る、まさにそのタイミングで。
娘が自分のパスポートが切れていることに気がついたのだ。


漫画のような出来事。


そう、人生は漫画のようだ。
おかしくて楽しい、愉快な漫画のようだ。
涙や悲しみもあるけれど、ユーモアで溢れている。


今になると、自分の物語をスクリーンを通して見ているような感覚さえする。
自分の物語なのにドタバタ劇に笑ってしまう。


私は、スイッチを押したのだ。


ジェットコースターの作動スイッチを自ら押したのだ。



ワーーギャーー
上っていく、上っていく、怖いー
今度は一気に下り、ギャー


上りや下りや、げげっ回転、急に止まって急に発進、はたまた後ろへ下がる、下がる
うそでしょーー


止めてーー落ちるーー


ジェットコースターから落ちないようにしがみついたけど、


あれーーー落ちるーーー



みっともなく手足をばたつかせながら落下。


運よく芝生にふわりと落ちて、無事だった。
ケガは無し、自分の身一つあるだけ。


無事幸い、あたりを見回すと、草原だった。
誰もいない。
見渡す限り、延々と草原。


ありゃーーー


ここはどこ?
違う世界に来ちゃったの?


立ち上がる気力も歩く気力もなく、茫然と座っていた。
しばらくジッと座っていたけれど、暇なので目を閉じてみた。
座ったまま目を閉じた。



これ、すなわち、瞑想。



書くことに、重い重しをのせていた頃、書くことは喜びでもあり苦痛でもあった。
読み手を意識して固くなっていた。


今はそれがない。


書くことに期待も願望も抱いてはいない。
書きたくなった時に書きたいことを書く。
それだけだ。


もっと言うと、やりたいことがハッキリと定まってくると、書く必要もなくなるようだ。
やりたいことに時間を費やしたいからだ。



分かりやすく説明をしたい。


100%のうち、自分は10%だった。
努力をして、100%の自分になった。
100%の自分になると、100%になるための努力は必要としなくなる。


100%は完全という意味合いではない。
そのままの自分を本当に心から認めた、ということだ。



だから、書くという行為を通して、成長や変化を求めなくても良くなった。
という心境に至った、とでも言ってみる。


今は、楽な気持ちで書いている。
面倒な時は書かない。
書く気持ちが沸いてきた時、書き出す。


テーマも決めず、ブラブラっと書き綴って、一人悦に入っている。


自由でのんき、気ままだ。


さっきのような、わけのわからないファンタジーの話も、一人で笑っている。
そんな空想が楽しくてしょうがないのだ。
実体験を交えた空想ではある。


瞑想も登場させた。


朝の20分の瞑想は、言葉で表現できないけれど、なんだか良い感じだ。
あくびをしながらの時もあるし、まだまだ雑念ばかりだけれど。



草原で一人瞑想をしている自分を想像してみて。


目を閉じて、光を感じて風を感じて、幸福感に包まれているのか。


それとも孤独を感じて悲しく辛いのか。


どんな姿を頭に浮かべるのか。
そのイメージから自分の状態は知れると思う。



人生は旅だ


何度もブログに書いている。


何度でも書く。


人生は旅だ



私は大海原にいる。
小さなボートに乗って、オールを動かしている。
太陽は暑く、帽子を被っていない私の頭に、容赦なく光を注ぐ。
水面はキラキラと輝いて、まるで群星のようだ。
波の音と、鳥の鳴き声、聞こえるのは自然の音。


一人で優雅に漕いでいる。


見渡す限りの大海原。
陸はどこなのか分からない。


構わない


表情は明るい。
口元はにんまりして笑っている。
これから何があるのか、何も起こらないのか、まったく分からない。



構わない



人生は旅だ!